近所のスーパーでわりと旨いと思って食べてた弁当の具やご飯がだんだんとしかし確実に小さく少なくなっていくので、日本経済だいじょぶかな?とおもっているgoglemanです。具の数は変わらないんだけど量がね、たとえばひじきの和え物とか、そんなもんちょびっと減らしたからって大した削減にならんだろと思うんだが、しかし相当数出てるのかね?チェーンのスーパーなので(ちなAeon/daiei系列のグルメシテ○とかいうスーパー)。あの弁当が凄い数出てるとは思えんのだがな…エビの天ぷらとかも鉛筆の1/3くらいのエビで衣ばかりだし、あとパスタとか下に敷いて嵩上げしてんの。やり方がせこいんだよ!好きで買ってた弁当だっただけにこちらとしては深刻だわ。代替がないのよ他は唐揚げとかとんかつとかの揚げ物主体のやつばかりだし。ああ一個タニタのやつだったかな、カロリー低い弁当もあったけど、それは旨そうじゃないし(笑)ちなみに値段は税抜き398円(姑息な値段)しゃーない?だけど同じ値段でだんだん量が少なくなっていくのは悲しいだろう…高くなるのもいやだけど、こういう長引くデフレの影響も困りもんだね。

ポストパンクいいですね。最近ポストパンクとはなんぞや?というと何か偉そうな感じになるので単純に、諸説あると思いますが大体1978年に出現してから40年という節目に筆者はハマっているので、何枚か書こうかと思いますが(もちろん不定期に…)なんというかこのポストパンクの楽しさと多様性のようなものを感じさせる、タイトル「それを至福の時間と呼ぶんだぜ」(サンボマスター?)通り、やはり楽しい一枚ですね。どうやらグラクソベイビーズの方が有名らしい中心人物ロブチャップマンが、グラクソズ(略)がポップグループとの親交によりレゲエやダブへと接近していったことに所謂音楽性の違いを感じて脱退後、当然演りたい音楽を追求したグループのようですね(すべてネットや、CDは邦盤のみなんですがそのライナーノーツの受け売り、しかし御大大鷹俊一氏が一言もポストパンクと書いてなくニューウェイヴと呼び続けていたのには大変違和感と遺憾、彼なりのこだわりのようなものがあるのだろうか?)。

そんな歴史はさておき、やはり単純に楽しいのと、パンクが本来の言わばサブカルチャー/カウンターカルチャーだったのを忘れ商業的に成功していってメインカルチャー的な勢いと反比例して何かハングリーさや先鋭さなどを失っていったのに呼応するように出現してきたのが所謂ポストパンクじゃないかと思うんですが、とすると言わばパンクに対するカウンターとして出現してきたにしては、私的偏見としてはどこか文字通り大人しく良くも悪くも知的でどこか分別くさいのもまたポストパンクのテイストの一つとしてあるのではと思ってます。

本作を聴くと、パンクが出現してきてからいい意味での全盛期まで持っていたと思う破茶滅茶な勢いのようなものこそ感じませんし、やはりどこか冷めて分別くさい部分も感じながらも、なにか音という媒体によって何ができるのだろう?とでもいうような実験性がアルバム全編から感じられる、そのストイックさに非常に好感が持てるようなアルバムかもしれません。フリーキーなサックスなどにはフリージャズからの影響なども感じれもなくもないですが、執拗に同じベースラインを繰り返すベース、薄っぺらいカッティングギターやおそらくあまり意味のない歌詞をときに叫んだりブツブツと呟いてるボーカルあたりにはこれぞポストパンクと思わされる、少し大げさに言ってポストパンクの楽しさが凝縮しているようなアルバムと言えるかもしれません。

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