鬼ヶ島
例えばヤン富田が日本でダブを本格的に取り入れたアーチスト兼プロデューサーだったとすると、近田春夫は時代的に先輩格のみならず(年齢は一つ上のよう)、日本でファンク〜ヒップホップの手法を本人のみならず他アーチストのプロデュースにギクシャクとはしていない自然な形で取り入れることに成功したアーチスト兼プロデューサーじゃないだろうか?と昨日と今日で思ってしまうんですが、どうやらこのアルバム以前は筒美京平の秘蔵っ子だったとも言われる平山みきを初めて筒美氏以外のプロデュースで料理したのが近田春夫らしいのです。しかしここでは1982年作という時代を感じる、もちろんヒップホップなど以前、ファンクは当然海外特に米国では隆盛を極めていた頃だとは思うんですが、平山みきという稀代の個性派ボーカリストには恐らくファンクは合わないと判断したと思われ、全くないとは言いませんがせいぜい70's〜80'sディスコの雰囲気がある程度で、やはり当時の日本で流行りのテクノポップ調の方が多く聴かれるアルバムになってると思います。当時の片腕的窪田晴男(ビブラトーンズ→パール兄弟)によるアレンジの功績も相当大きいと思います、しかしやってほしいことなどの意思疎通がおそらくツーカーなほどの仲の窪田氏をアレンジャーに起用しているのは飽くまで総指揮者の近田氏であるとすると、これはやはり当時流の近田&ビブラトーンズ節全開、フィーチャーリング平山みき、のアルバムではないでしょうか。今聴いてもとんでもなく胡散臭く如何わしい曲(一曲目など)やいわゆるテクノポップ歌謡の歴史的名曲("おしゃべりルージュ")等等で未だにぶっ飛んでるような印象を受けてしまうのには驚愕です。また画素をわざと落としているようなジャケも内容をよく表しているようで秀逸だと思ってます。このアルバム一枚を聴いただけでも近田春夫はやっぱり天才だったのだ、と思えてきます。

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